どや顔とおふくろの味


cafe

最近は新しいことにいろいろ取り組んでいる。
娘が誕生して生活が一変したし、 古いものが終わっていったということもある。  

ついでというわけじゃないけど、 ちょっとどうせなら、
いろいろ変えてみようと思って、 新たにブログをはじめた(それをついでという)。  

そこで、原点を振り返ってみた。  

それは、自分がなぜ写真家になろうと思ったのかという原点。

何をしたかと言うと、 最近の写真と過去の写真を数時間かけて見直してみた。
これはたびたびやっていることだけど、 仕事や展示があるからであって、
ただ選んでいるだけ。  

今回は過去と今の違いを確認してみた。 確かにかなり上達はしている。
失敗写真も格段に少なくなっている。  

でも、最近の写真はかなり小手先感が出ている。
簡単に言うと、写真がどや顔している。  

写真自体は悪くないのに、そこに気持ちがない。
それは目に見えるものじゃないし、 自分の写真だから気付けるものだろうけど、
被写体にとらわれ過ぎているし、 一枚一枚の大切さを忘れているなと思った。  

昔はきっと、もっと大切にシャッターを切っていた。
そして、伝えたい気持ちに純粋だった気がする。  

いまも原点は忘れていないし、そういう写真も撮ってはいるつもりだけど、
どうしても、ちょいちょい出て来るどや顔写真が目に付く。  

僕が写真で伝えたいのは、誰かの記憶の中に残る風景

想い出って、音や香り、場所や言葉、 たとえ自分が思い出そうとしなくても、
五感に触れることで、ふとした拍子に引き出されることがある。  

簡単に言うと、おふくろの味。
都会に出て来て数年、仕事が忙しくて実家にもなかなか帰れない、
仕事でも怒られてばかりで、あまり上手くいっていない。
そんな時にたまたま入った料理屋とか、 恋人や友人の母親がつくった料理とかが、
自分の母親の料理と同じ味をしていて、ちょっと涙ぐむ、  
ドラマにすると安っぽい、ベタな展開だけど、 これって実際にあると、
絶対、心にしみる。  

そういう世界観の写真を撮りたい。  

もう少し言わせて頂くと、 たとえば古いアルバムを引っ張りだしてきた時って、
懐かしさと共に少し胸がチクチクすることがあるけど、
それは決して嫌な痛みではなく、どこかホッとするもの。  

それも一つの幸せの形だと思う。  

写真を通すことで、そんな幸せを感じてもらえるように、
大切なことを思い出せる小さなきっかけになれるように。
そんな世界を伝えていきたいと思っている。  

それが僕の原点。  

ずっと覚えているけど、少し忘れていた。  
昔はもっと近所とか、なにもない場所で写真を撮っていたけど、
最近はちょっと遠出するとか、有名なスポットに行くとか、
撮るものがある場所へ行っていた。  

これからは、目を向ける視点をもっと日常に戻していこうと思う。    

多くの人に「おっ」と思わせることが出来るのは、どや顔写真で、
少数の人に深く印象に残るのは、おふくろの味写真。  

結局、どちらも必要なのかもしれないけど、
自分が涙ぐんでしまうような、おふくろの味写真を撮りたい。    

プロ・トイカメラマン 改め おふくろの味グラファー 雨樹一期。  

今の時代はこういうふざけた感じの肩書きの方が、ウケるのかもしれない。

 

You may also like

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)